ジュリ君伝説  written by ジャスミンさん  

〜 伝説が書かれた日  2004年8月20日 〜

ペルシャホワイトの猫 男の子 ジュリ君  1982年4月10日生まれ
天使のように美しく可愛かったあの子。
22歳と2ヶ月で、丸一日苦しんで、6月20日(日)の朝、午前9時50分頃、突然、
本当の天使になっちゃいました。
ジュリ君は大きくて強い子で、16歳で療養食生活を始めるまでの体重は6キロ位でしたが、 亡くなる直前は4キロまで減少していました。

ジュリ君は、私が学生の頃、真っ白でふかふかで可愛い天使だって思って、生後一ヶ月のあの子を、友人からもらいうけ、私の母が、牛乳とチーズと卵などで育てました。
寝る時も、母の布団の上で、専用のお布団と母お手製の枕を敷いてもらっていました。
母は、子供の中でも一番可愛いと言って溺愛しました。
あの子は、母と父が大好きで、私や兄のことは兄弟姉妹のように思って、一緒に遊んだりしてました。
私が、あの子とより深く関わったのは、あの子が16歳になってからです。

16歳までは、好きなものを好きなだけ食べ、家の中を走り回る、大きくて強くて、やんちゃ小僧でしたが、
16歳の時の健康診断で、腎臓のBUN数値が28になってからは、病院の療養食・ヒルズのk/d缶を一日一缶と、飲み薬のゴルバジン一日一袋の生活に切り替えました。

それから、後悔のないように出来るだけのことをしてやりたいとの思いから、私があの子の世話をするようになったのです。
あの子から、食べる楽しみを奪ってしまったこの6年、 ストレスからか、腎不全でだるいのかいつも悲しそうな顔をしていましたが、毎朝、早起きしてお庭のお散歩とブラッシング、朝晩、猫ちゃん体操とマッサージ、大嫌いな療養食猫缶を口に入れて無理矢理食べさせ、お薬を飲ませ、抗酸化作用が高いと聞いてEM−Xというお水を飲ませ、人間の赤ちゃん用の歯ブラシで歯磨きをして、口内炎用のお薬を塗る。
汲みたての新鮮なお水を飲みたがったのに、ミネラルウオーターか沸き冷ましのお水に切り替えて・・・
ジュリ君は、お風呂場の蛇口をフンフン嗅いで、ツンツンして嬉しそうに舐めてたのにそれも止めさせたっけね。
何でも聞き分けよく、自分のためだと理解して、大人しくしてた。
信頼し、全てを受け入れてくれた。

おかげで19歳の時には、腎臓のBUN数値は20以下に下がりました。
でも安心していた矢先に、今度はたまねぎ中毒にかかり、真っ赤なおしっこをしてBUN数値は40超えになってしまいました。
それからしばらく寝込み、足腰がすっかり弱って、この2年9ヶ月は著しく老いて殆ど横になっていて、 歩くのも、動作もゆっくりでした。
療養食にしてからは、身体に悪いと知りながらも、2〜3週間に一度位、大好きな甘エビのお刺身や、あじのたたき等をお皿に入れて目の前に置いてやると、
にゃッ!と目を丸くして驚き、私の顔を「食べてもいいの?」と覗き込みました
頭を撫でて食べていいよと言うと、嬉そうに食べましたが、たまねぎ中毒以来は、なにをあげても喜ばないようになってしまいました。

それでもよく甘えて、どうにか楽しく暮らしていましたが、おしっこやウンチも、慢性的な便秘のせいもあり、朝晩のご飯の時、私がトイレに連れて行って座らすとしますが、それが習慣になってしまって自分からは行きません。
おしっこも、連れて行っても一日に一回、丸一日しないこともあります。
本当に殆ど、ベッドで横になっていて、少しずつ、確実に、老いを迎えているという風でした。
私は、あの子の老いと、向き合っていました。
ただ幸いなことに、目も耳も鼻も少しも衰えませんでした。
見た目には毛が薄くなったくらいでしたが、これは、長期的に療養食を食べていたので、どうしても蛋白質が不足した為ではないかな?と思っています 。

それでも、私の母が大好きで、自分のベッドの側の揺り椅子に母が座ると、にゃッ!と小さく鳴いて起き上がり、 母の膝によじ登るのです。
もう、昔のようにジャンプできないのに・・・
そうやって母に抱っこされるのが、一番の幸せのようでした。
一時間でも二時間でもそうして、母は我慢して抱いてやっていました。
母の膝の上で、得意そうな顔をして、家族の顔を見回します。
母の顔にキスしたり、舐めたり、頬ずりしたりして、母の顔は濡れてびしょびしょでした。
それは、亡くなる前日まで続きました。

22年間の思い出、あの子が居てくれた幸せ。
純真に信じる心やひたむきに生きること、沢山、沢山教えてもらいました。
一緒に色んなところにも行きました。
ジュリ君、おいしかったね、きれいだったね、楽しかったね・・・
大変な病気にもならず、長いこと頑張って側に居てくれてジュリ君ありがとう!!
って、そう心から言えました。逝ってしまっても、私は大丈夫と思っていました。
でも・・・・・

先月6月に入ってから様子がおかしくなりました

6月4日(金) 
夕方 泣き叫び、人を呼びました。
行ってみると、部屋のあちこちにウンチをしていました。
どんなに体調が悪くても、トイレ以外で粗相したことのない子でした。
ただ、前日の夜、珍しくシュークリームのクリームをおいしそうに舐めたのです。
それで下痢したのかな?とも思うのですが・・・・?
丁度、年に一度の混合ワクチンの注射の時期だったので、翌日、病院に連れて行き診て頂きました。

6月5日(土)

血液検査の結果
腎臓のBUN40、白血球の数が異常に多い(100以上)
他は、全て正常とのこと。 もって行った、便の検査でも異常なし。
食欲はありますか?と訊かれましたが、 食欲がないのは、いつものことです。
ただ、無理矢理口にいれたものは食べてますと言うと、
先生は指を肛門に差し込んで、前立腺が腫れていますと言われました。
考えられるのは2つ  癌か炎症かです。
癌だとしても高齢の為、手術できないので、抗生物質を4日分だすので、様子を見ましょう。
薬がきけば炎症です、とのことでした。

6月8日(火)
薬の効果が見られないので、もう4日分、ちがう抗生物質出しますとのことでした。

6月11(金)
少し効いているので、一週間分、お薬だしますとのこと。一週間程続いた下痢も、納まってきました。

6月18(金)

夜半以降、うろうろと寝場所を変えます。
朝方、また、軟便まじりの糞を部屋の中でしました。
お水を飲みにいって、倒れこみ、横になったまま飲みました。
お尻が汚れたので、始末しようと触ったら、背中側、尻尾の辺りに、ぷよぷよの袋状のあるのに気付きました。
触ると、痛がります。

6月19(土)
朝、病院に連れて行きました。熱はありません。地肌もピンクです。
注射器で、袋状のものの液を抜き取り検査。
袋状のものは、におい袋が詰まっている為との診断。
しぼりだして頂きました。
あの子は鳴きながら、私の腕に噛み付いて、痛みを我慢しました。

”前立腺肥大用に出していた抗生物質も、効いてないようですね。
かなり、免疫力が弱まっています。
前立腺と今回の炎症の両方に効く抗生物質を出します。
帰宅したら、すぐ飲ませて下さい”とのこと。
高齢で腎臓疾患もあるので、心配する私に、先生は励ますように、 命に別状あるようなものではありませんからと仰って下さいました。
ただ、腎臓のお薬は飲ませて下さいと言われたことが、今もひっかかります。
帰宅して、すぐ、立て続けに2回もその場で、おもらししました。
足腰が弱ってきてからは、排尿排便は、ごはんの時に、トイレに連れて行った時以外、したことがないのにです。

帰宅後、お薬を飲ませ、ベッドで休ませました。
少し息が荒いように感じましたが、安静が一番と思い、そっとしておきました。
夕方7時、晩御飯とお薬の時間。
いつものように立たせて、お口にご飯を入れてやったら、鳴きながら暴れて倒れこみました。
息も荒い。あわてて病院に連れていきました。

先生に説明したのですが、あの子は先生の前では、確かにそれほど苦しそうにしていませんでした。
それで先生は、舌を出して、ハアハア言ってますか?と聞かれるので、それほどではないと言いました。
”息は荒くないですよ。無理矢理、ご飯を食べさせたからでしょう。 無呼吸状態になりますからね。
これだけ化膿していたら、痛くないわけがないですしね”
と言われるのです。聴診器もあててもらえませんでした。

このとき、もっと食い下がっていたらと、後悔してもしきれません。
それどころか、私は安心して帰宅し、またお薬を飲ませました。
お薬さえ飲ませていたら大丈夫と、気楽に思っていたのです。

その夜、一晩中、また、うろうろと寝場所を変え、苦しそうでした。
何か、息がさらに荒くなっています。

6月20(日)
朝7時半頃、トイレに連れていったら、倒れそうになりながらも、おしっこをしました。
この時のおしっこが、白く濁って匂いもきつかった。 そして又、お薬を飲ませました。

その後、だんだんと、息苦しさが増していきました。ハア、ハア、・・・・と背中が波打っています。
時々、痙攣のようなものも起こします。
慌てて救急病院に連絡しましたが、 なかなか要領をえず、場所も遠いところばかりで、手間取りました。
9時半過ぎ、車に乗せました。苦しそうで、今にも、息切れそうです。
ハア、ハア、・・ウツ!ハア、ハア、ウツ!・・・・ 今にもこときれそうです。
お願い死なないで! 父が運転して、車に乗せて10分程後、 抱いていると、どうしても、肛門腺の化膿で、お尻の腫れが痛いだろうと思って、シートに降ろしたら小さな声で鳴いたので、 はい、はい、ゴメンねと言って、また、抱いたら、 2度、はッ!と口をあけて苦しそうに呼吸をしました。
痛いのか?と驚いて、抱き上げたら、最後に、はッ!と息を吐きました。
私を見つめる、あの子の輝く瞳に、一瞬にして光が失せるのが見えました。

★★★★★
翌日、病院に亡くなったことの報告とお礼に行き、呼吸困難と心臓発作のようでしたと言ったのですが 、
先生は、 ”いいえ、レントゲンを撮りました。菌が脳に回ったのでしょう、早い回りですね・・・”と言われました。
でも、レントゲンを撮ったのは2年も前のことです。
その時は確かに、心臓の肥大はありませんでした。
私には、納得できませんでした。それに、菌が脳に回った?
あの子は亡くなる寸前まで、呼びかけると返事をし、母が手を握ると握リ返していたのに・・・
脳に菌が回った? 私には、どうしても納得できなかったのです。

それから、夜眠ることもできず、 なんの医療知識もないし、猫を飼うのも初めてで何も分からないのに、 あれこれ考えてしまいます。
考えても、考えても、わかるはずないのに。
夜になると、あの子の苦しむ顔が目の前に浮かんでくるのです。

疑問に思うことがありました。うちの子は、1歳未満で去勢手術済みです。
前立腺の病気にかかるとは思えないのです。あれは、肛門線の腫れだったんではないでしょうか?

心筋症って、そんなに急になるものなの?
初診の2週間前なら、助かってたんではないの?

高齢で心臓が弱っているに、肛門線を絞ったから、ショックで心臓に負担がかかったんでは?
その上、無理矢理ごはんを食べさせたり、お薬を飲ませたから、よけいにショックを与えた?

腎臓が悪いのに、お薬2週間も飲ませて、悪化した?尿毒症になってたかも?
高齢で腎臓が悪いのに、何故、2週間の治療の間、検査しながら治療しなかったの?

亡くなる前日の夕方に、ちゃんと診察してくれていたら、 あんなに苦しまなくてもよかったのでは?
色々考えて、疑心暗鬼になってしまいます。

私の母は、「22歳なんだから、自然の流れで寿命だったのよ。
あの時助かってたら、今頃もっと苦しんでいたかもしれないんだから、
あの子は、あの子らしく、誰にも迷惑をかけることもなく、きれいな姿のまま逝ったのよ。
亡くなった時、おしっこもウンチもしてなかった。 本当に、眠ってるようだったんだから、
今はもう、苦しくないのだから、残されたものが考えても苦しんでも、ジュリ君は帰ってこないのだから」と言います。
母は、世の中で、これほど可愛いと思えた対象はジュリ君だけ。
子供の中でも、一番可愛いというほど溺愛していました 。
その母が、そう言って、辛さに耐えているのです 。
私も、そうしなければと思うのですが、どうしてもダメでした。
やっぱり夜になると、考えて、眠れなくなってしまいます。
いついなくなってもいいように、覚悟もしていましたし、後悔のないように、日々精一杯のことをしてやろう。
その日がきても、私は大丈夫!って、思っていたのに、大丈夫ではなかった。
最後にあんなに苦しませてしまったのです。
それも、前日の苦しみの、本当の意味も気づかずに。朝には治ると信じて、安直に添い寝していたのです。
そんな自分が許せなくて、あの子が苦しんだ分、今、私が苦しみました。愛している分、想いました。

22年の最後の最後で、お別れが上手に出来ませんでした。
なんで、病院変えなかったのかな? あの子は、病院にいくと治してもらえると思って、大人しくしてたのに、信じてたのに。
なんでかな? 心臓マッサージ等、できる限りのことをしてもらってダメだったのなら、先生から、もっと沢山の言葉をもらえていたら、ここまで苦しまなくてよかったのにな・・・
ジュリ君の49日、この日を迎えるにあたって、私には、やらなくてはいけないことがありました

病院での検査結果は、いつも口頭で聞くだけで、手元のデータは頂いていなかったので、
せめて最後の血液検査のデーターが欲しいのですとTELしておきました。
そして、49日の日、そのデータを頂きに行き、主治医の先生とお話しました。
私は、先生と話すことを、どこかで恐れていました。
結局は、また、脳に菌が回ったと言われるだけだと、あきらめてもいました 。

疑問に思っていることを聞きました。あの子は、1歳未満で去勢しているのです。
前立腺の腫れは、肛門線の腫れだったのではないですか?と
いいえ、前立腺と肛門線はあきらかにちがいます。確かに前立腺の腫れでしたと、おっしゃいました。

肛門線の腫れについては、普通は絞ったら液がでるのに、あの子はでなかったし、化膿も破裂せずに、細胞の中に入り込んでいたしと言われました。
あの子の直接的な死因は、最後の様子からみて、心臓発作ですね?肺水腫かなにかでは?
亡くなる一月前にお風呂に入れたときも、のぼせたようになって倒れこんだことがあったので、
肺も大分弱っていた様子でしたし・・・・
亡くなる前日、肛門嚢を絞って頂いた時も、私の腕に噛み付いて、鳴きながら我慢していました。
かなり心臓にショックを与えたように思うし、その後、無理矢理ご飯を食べさせたりお薬を飲ませたのも、負担をかけたように思えますと言うと、
「いいえ、聴診器で心音を聞いたら、異常はありませんでした。心臓は弱ってはいませんでした。
あの子は、内臓も心臓もどこも悪くありませんでした」と何度も言われました。
(でも、主治医は、なぜそんなに自信をもって仰るのか? 2年前のレントゲンと亡くなる2週間前の血液検査と触診等を総合してのことでしょうか?)
でも、最後、まるで心臓発作のようでしたし、苦しんだのですと言うと、亡くなる時はそういったものですと言われました。

私は、あの子は腎臓が原因で亡くなるものとばかり思っていました。
最後にあんなに苦しむなんて・・・・と言うと、22歳です、なにがあってもおかしくない年齢です。
腎臓が6年間も、現状維持でBUN40そこそこから悪くならなかったことも普通ではありません。
前立腺の肥大にしても、肛門線の化膿にしても、それに勝てる力がもうなくなってきていた。
もう、そういう年齢だったということではないでしょうか?
なにが原因か?正直、私にも分からないのです。
肛門嚢炎の菌が回って肺血症になったのでは?と言われるのです。

脳に菌?
あの子は、熱もなく、亡くなる直前まで名前を呼ぶと返事をし、手を握ると握り返していたんですよ。と言うと、
熱がないのが、逆によくないのです。脳でなくても、お腹のあたりに菌があったのかも?と言われます。

でもやはり私には、あの子がそれ程、大変な病気だったとは思えないのです。
肛門嚢を絞ってもらってから、急に呼吸がおかしくなってきて、その夜も息苦しさのためか、うろうろと一晩中、寝場所を変える元気がまだあったし、朝方には、それ程、苦しそうではなかったように思います。
それが、おしっこをさして、無理矢理にお薬を飲ませてから、急に呼吸がひどく荒くなってきて、肩で息をするようになってきたのです。
それから2時間半ほど、呼吸困難のように苦しんで、逝ってしまいました。
肺水腫か胸水が溜まっていたのでは?と思えるのです。
だから、亡くなる前日の夕方に、呼吸が変だと病院に連れて行った時に分かっていたら、助かっていたんでは?と考えてしまい、自分を責めてしまいます。
ただ、主治医の言われるように、元気な頃のあの子なら、どれもこれも、乗り越えられた事だとは思うのです。
結局、老衰ということでしょうか・・・・

私は、なぜか、少し落ち着きました。私が望んでいたのは、なんだったのか?
もっともっと、生きて欲しかった。23歳や24歳の猫さんだっているのに・・・それは勿論です。
でも、例え力及ばなくても、最善の手を尽くしたと思えること?
納得のいく説明? 多分、それら全てです。
物言わぬ、小さな生命です。その医療の難しさは、理解しています。
ただ、最後の場面で、主治医とちゃんとお話しなかったことが不信感を大きくし、結果的には自分を責めることになっていたのです。

あるサイトで知って、メールで相談し、とても誠実で、心優しい先生から頂いたメールを、何度も何度も読み返し、やっとそれが分かりました。
ただ、やはり、私の心の中での自問自答は、この先もずっと続くでしょう。

6年間も、食べたくないご飯を無理矢理に食べさせて、飲みたくないお薬を飲ませて、ゴメンね
自分の為、家族の為を思って、我慢して、大人しく、良い子にしてたジュリ君なのに
苦しがってるのに気づかずに、ゴメンね
助けてあげられずに、ゴメンね
今度出逢ったら、もっとちゃんとするからね、ゴメンね
ゴメンね、ゴメンね、ゴメンね、ジュリ君

あの子が逝ってから、私は、元気になったり落ち込んだり、一進一退です。
毎日、写真に向かって、問いかけています。
亡くなる時に、あんなに痛い、苦しい思いをしたから、もう、ジュリ君はこわくなって、姉たんのとこに帰ってきてくれないよね?って・・・・
でも 、あの子が生まれ変わってきてくれるって、心から思える時もあります。
きっとあの子は、今の身体がもう辛いから、元気な若い身体に生まれ変わるために、いったん天使になったんだって。
ジュリ君、迷わずに、虹の橋にいけたかな? 素敵なところらしいから、沢山のお友達と楽しく遊んでね。
もう、あんよもどこも痛くないから、前みたいに、思いっきり跳んだり走ったりできるね。
ご飯だって、おいしいものを一杯、好きなだけ食べていいんだよ。
大好きなお花や木々や草に囲まれて、嬉しいね、楽しいね、幸せだね。
ジュリ君が笑ってるのが分かるよ。

でも、母たんも父たんも、姉たんも兄たんも、ジューがいないと、とっても寂しいよ。
時々、居ないこと忘れて、ジューのベッド見に行っちゃたりするよ。
抱きしめて撫で撫でしたいよ。プっ!プっ!ってキスしたいよ、見つめ合いたいよ、笑顔が見たいよ。
だから、だからね、できるだけ早く帰ってきてね。
ジューのベッドやお布団や、お洋服だってなんだって、全部きれいにして、お日様にあててしまってあるよ。
ジューの大好きな、清潔でいいにおいにしてあるからね。

愛してるよ!

ジュリちゃんギャラリー

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しっぽなさん主催:HAPPY CAT  の『STAR CATS CLUB・ジュリアーノSTAR』で、
ジュリ君の生い立ちからのお話と絶品のお写真が拝めます!

葛西のご隠居様主催:猫の肖像画館 20階展示室では、お花畑で微笑むジュリ君に会えます♪


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