にゃあちゃん伝説 Page1  written by nyakojo さん  

〜 伝説が書かれた日  2005年3月 〜

にゃあというネコさん
にゃあが亡くなって、もう5ヶ月になります。
にゃあは慢性腎不全が原因で、ウチに来て11年と3ヶ月でその一生を終えました。
今はにゃあの身体は亡くなってしまったけど、にゃあの魂はいつでも一緒です。

通院以前
にゃあはウチに来て一緒に生活するようになってから、病気らしい病気は殆どありませんでした。
避妊した病院では「手が小さいからあまり大きくはならない」と言われていました。
事実なかなか大きくならず、ずっと体重1キロ台後半から2キロ台前半という小さく軽いネコさん。
3歳くらいになって少し体重が増え、ピーク時は3キロを一瞬越えたくらいです。
しかしながら、食欲旺盛で本当に良く食べる。
食に対する拘りも大変なモノで美味しいネコ缶に目がなく鰹節が大好物。
高いところが大好きでどこへでもバンバン登る活発な子でした。
通院以前に特に食欲不振や頻繁に起こる嘔吐はありませんでした。

慢性腎不全発覚 2004年5月17日
そろそろ11歳だから、そんな理由で動物病院で血液検査をしてもらう事になりました。
健康診断のつもりぐらいしかありませんでした。
しかしながらBUN133、Cre6.1、P10.5、Ht(PCV)22%と貧血状態になっていました。
22%ではまだ大丈夫だと思っていましたが、かなり脱水しているそうです。
腎臓の状況もかなり萎縮しているとのこと。
GOT53、GPT142と肝臓も多少悪くなっている様でした。
慢性腎不全で完治は無理で今後は維持していく治療しか出来ないけれど、数値的にははっきりいって難しい状況ではないかと。
信じられません。目の前の元気そうなにゃあを見て本当にそんなんなのかと思いました。

しかし、元気そうだと思っていたのは、少しずつ衰えていたからだったのです。
事実、多飲多尿と言う症状は当てはまります。
「最近痩せたなあ」とも思っていました。食欲はありますが、以前に増して偏食になったような感じもあります。それは単に年のせいだと思いこんでいたのです。
今後は輸液に通って貧血を解消する為に、エリスロポリチンの注射をしていく方向ということになりました。
食餌も、今後はk/dなど低蛋白食に切り替えなければならないということ。
その日はエリスロポリチンとプレドニンを注射、皮下輸液をし、クレメジン、ラシックス、グリチロンを貰って帰宅しました。

帰宅後
帰宅してからネットでいっぱい調べました。この数値だとやはり楽観してはいけないというでした。
同居の彼にも伝え二人ですっかり落ち込みます。
とにかく出来るだけのことは、にゃあにしてあげようという事にはなりました。
にゃあは病院で疲れたのか、それともだるいのかずっと寝ていましたが。。

暫く週2回通って、輸液とエリスロポリチンを接種する事になります。
しかし、k/dは不味いのか殆ど手をつけてくれない為、食べないよりマシという事で、食餌は以前と変わらないものをあげる事にしました。
でも数値は悪くなる一方だし、食欲はあるし食べてはいるけどなんだか痩せてきています。
エリスロポリチンの効果も、2回目の血液検査では多少はあったと言う程度。
毎日2回通って輸液した方がよいとの事でしたが、毎日2回となると費用はともかくにゃあが凄いストレスになってしまうのです。

病院に通い始めてから円形脱毛症になってしまって、あちこちに10円ハゲができてしまったのです。
それに、病院に行くだけで物凄く震えてしまい大変なことに。。。
不眠症にもなってしまい、全く眠れない日も多くなりました。とにかくいつもイライラしていると言う感じで。
こんな状態で毎日通院輸液は難しいと思いました。
入院させて静脈点滴と言うのも考えたのですが、やはりにゃあは神経質な性格だから入院中にもしものことがあったら責任は取れないということ、エリスロポリチンの効果がたいして出ていない段階で静脈点滴は貧血を更に悪化させて死に至るケースもあるとのことで、あまり奨められないとのことでした。

自宅輸液、強制給餌スタート 6月18日  
BUN192、Cre7.6、P20オーバー、GOT60、GPT138、Ht(PCV)26%
貧血は多少解消されてきたものの、他の数値は激高。
体重も2.14kgと激減です。
しかし、この時点でも全く嘔吐もないのです。にゃあは我慢してるだけなのかもしれません。
こうなったら毎日輸液するか、入院して静脈点滴かくらいしかないです。
でもにゃあの性格上、入院はやはり難しい。
そこで、自宅輸液にすれば毎日通院しなくても輸液することが出来るし費用やにゃあの精神的な負担が少なくなると思い交渉しました。
ウチの獣医さんは自宅輸液反対派で、なかなかOKしてくれません。
理由は感染症の問題と、それ以上に治療を途中で投げてしまうことを危惧していました。
通院ならばしっかり管理できるし、症状に応じた対処がよりできる。
でも当のにゃあは病院に行く度に震え上がり、通院ストレスからか不眠が続いています。
不眠解消のために宇治子供救命丸を飲ませて、少しだけでも休んでもらう様にしていました。
そのことを伝えてもOKしてくれないので、自宅輸液をしてもらえる病院を調べてその日のうちに
行ってきました。

いつも行っている病院よりは設備は整っていそうでしたが、何となく不衛生でとても心配になりました。
なによりもにゃあの数値を見て驚くばかりで(そりゃ驚くだろうけど)、あとはもう死を待つだけみたいな対応しかしてくれません。
でも自宅輸液セットさえ出してくれれば問題ないくらいに思っていたので、自宅輸液セットを貰って帰宅。
病院で教えてもらった様に輸液スタート。。
しかし。。私の手が震えて大変なことになっています。。。。脚もガクガク。
にゃあを押さえてもらっている彼の手もフルフル。。
それでも今やらなければ、にゃあとの生活が終わってしまうかもしれない。
そう思って勇気を持って(?)注射しました。
物凄く緊張したけど、にゃあ本人が一番辛かったろうし…
その後、主治医に自宅輸液をやってみて大丈夫そうだということを伝えたところ、やっとOKがでました。
輸液セットも出してくれるようにもなり、取り敢えずこれからは毎日輸液バトルです。
食欲はあるけど好きなものじゃないと食べたくない、でも体重を維持するまでは食べられないということで強制給仕もスタートしました。

はじめての痙攣 6月25日
前日にゃあは眠れなかった様で、心なしかイライラしていた様です。
多少体重は戻った様に感じたけど、何となく耳がパタパタピクピクしている???
今までこんなことあったかなあと思いつつも今日も嘔吐もないし、、さて寝るかと思っていた矢先突然やってきました。
痙攣!倒れてて脚をバタつかせて、瞳孔も開いているし呼吸も凄い荒い。。。
でもすぐに痙攣は収まりました。本ニャンもショックだったのか暫くはボーゼンとしていて。
多少落ち着いてる様なので獣医さんに電話、「すぐ連れてこい!」のことだったのでタクシー飛ばして酸素吸入をして帰宅。
続く様だったら痙攣を押さえる薬を注射・・といわれたものの、強い薬なので副作用で寿命が短くなる事もあるらしく保留。
その後朝と昼前に痙攣があったのでまたしても病院に。。。

6月26日
血液検査の結果はBUN77Cre3.6、P11.6で腎臓の方の数値は輸液の効果が出てDOWN!
しかしHt(PCV)が13%と超貧血状態です。。
エリスロポリチンを接種して貧血の改善をということになりましたが、今までの量だとあまり効果が見られなかったので、倍量を接種することになりました。
帰宅後1度だけ痙攣があったけど、その後は突然元気に。
元気な頃に登っていた冷蔵庫の上に上ったり甘えたりしてきてる。。。見た目にはとても元気になりました。
エリスロポリチン今回は効果あったかな?

6月29日
BUN121、Cre3.8、P7.0、問題のHt(PCV)は20%まで回復!凄いやったねにゃあ!
先生もビックリするほどの奇跡でした。家では結構元気に生活して相変わらず嘔吐なし。

7月から8月初旬まで
この頃はBUN100前後、Cre3〜6で推移、体重も増加。結構元気でした。
毎日輸液してお薬の飲んで、療法食だけ強制給仕してという感じでした。
おもちゃで良く遊び、こじょうとも暑いだろうに一緒に良く寝て、本当に数字を知らなければ腎不全って何?と言うくらいでした。
多少下痢になった日もあったけど、下痢止めのお薬ですぐに回復。痙攣もありません。
でも、腎不全発覚してから、なんだか子供帰りしたみたいに甘えん坊さんです

7月21日
にゃあと出会って11年目を向かえました。実のところ、この日を迎えるのは難しいと思いました。
この時は元気だったので、来年もまたって思っていたんですけどね。。。

その後、以前と全く変らない日々が続きました。
その間の血液検査結果もBUN100前後をウロチョロしてる感じだったのですが、にゃあにしてみればBUN100くらいだとまだ元気な感じなので。
ただ、気を抜くとすぐにHt(PCV)が下がってしまうので貧血の心配を毎日する日々。

8月13日
前日、突然嘔吐!
吐く前のカツカツというのもなく、本当に突然滝の様に吐き出しました。
この3日前、エリスロポリチンを接種しています。
以前からエリスロポリチン接種後、BUN,Creが上昇していたので、今回もまさか!と思いました。
朝一で病院に行って血検。
朝に輸液したばかりだというのに、BUN106、Cre8.5。
Htも22%と輸液した後だから仕方ないとは言え、また下がってる。。
エリスロポリチンは、あまり効かず副作用だけ出ちゃったのかな?
とにかく帰ってまた輸液して、ゆっくり休ませてあげなければ…。
その後、嘔吐はなし。元気とは言えないけどそれなりになりました。
今回も危なかったのかな?

8月24日から26日
この3日は同居の彼の、公認会計士2次試験の論文試験が行われました(合格しました)。
3日間は2004年の暑い夏の中では、珍しく涼しい日々だったと思います。
にゃあはこの3日実に元気。強制給餌のほかに療法食のカリカリやササミご飯も食べました。

8月27日
多少落ち着いてきたので血検。
BUN102、Cre5.5、Ht25%。
まあ合格ラインです。体重も2.56と今までで体重は今までで一番です。
このまま頑張って体重を落とさないようにしていけば、なんとかなるかな?

この日は病院の近くにある多摩川の辺を散歩しました。
にゃあは病院に行く時は嫌がって泣き叫ぶのですが、帰りはご機嫌で外の景色を眺めて喜んでいました。
多摩川の辺の空気は爽やかで、にゃあはとても満足したご様子♪

それから9月中旬まではそれなりに元気でした。
まあ遊んだりとか、大ジャンプも決められます。
ただ、今までは外出後凄い勢いでお迎えに着てくれたのが少しだけ少なくなった様な気が???
しかし、今までと少し変わったことがあります。ネコ砂を食べるようになってしまったのです。
ウチは粒が大きめなネコ砂を使っていました。大きさ的にはドライフードと同じ。
食べたいものが好きに食べられないから?それとも気持ち悪い?ボケ?
色々考えたけど、結局結論は出ませんでした。

ネコ砂の固まる成分は、大量に接種すれば有害です。
この頃になってたまに嘔吐するようになったのは、猫砂を食べての嘔吐でした。
結局ネコ砂の種類を変えることで、ネコ砂は食べなくなりましたが。。

9月21日
なんだかフラフラしています。
6月にBUNが異常に高くなった時にもフラフラしていました。
歩いていてもステンと転んでしまいます。
じゃあ病院にって思っていた矢先、またしても前兆なしの嘔吐。
しかも軽く痙攣しています。即効獣医さんに電話!
しかし、電話の途中で急に元気になってご飯に向かうので、朝まで様子を見ることに。

次の日朝一で病院にGo。
BUN135、Cre7.0HT23%予想の範囲内だったけどとにかく悪い。
その他GOT238、GPT491とか、もうどの数値見てもあんまりです。
WBC0.1っていうのもどうかと。
何でこんなことになったんだろとか色々ぐるぐる考える。。
前日マグロを食べさせたのが悪かったのかとか。。

先生の言うには「もう腎機能が殆ど残っていない可能性も高い。かなり腎萎縮が進行して小石のようになっている。WBC(白血球)が異常に少ないので、サイトカイニンを注射して白血球を増加させても良いけれど、あんまりにもBUNなどが高いから困ったねえ。。
けど、ネコ砂の化学物質中毒というのも考えられる。
貧血も結構進んでいるからエリスロポリチン打って大量に輸液などもしたいけど、今までの経過からして、にゃあの場合は副作用がコワイ。心臓も弱っているので…」っていうことでした。

どうしよう。どうしよう。でも何かしてあげたいけど、何もしてあげられない。。
結局色々話し合った結果、何もせずにおウチに帰ってきました。
そして、もうにゃあを連れて動物病院にくることはもうないと何故だかそのとき思ってしまったのです。。
帰りの道中泣いたりしたら、きっとにゃあが辛くなってしまうに違いない。
そう思って、今まで通り普通に話しかけていました。
その後、にゃあはまたまた何とかやっと元気?というくらいには回復しました。

k/dの強制給仕だといやがることが多かったので、この頃はチューブダイエットキドナ中心に変更。
必要カロリー以外は好きなものを食べてもよいというスタイルに変更しました。
好きなものはまあ、とにかく爆食。
モンプチ子猫缶とカツオ系のネコ缶は特にお気に入りだった様で、キドナで結構お腹一杯なハズなのにペロっと食べてしまいます。
でも、今までよりもカロリーは取ってるのに、それ以後体重は減少の一途をたどります。

その後、私が疲れなのか高熱と嘔吐でダウン。ホント死ぬかと思いました。
私の白血球数も100!(標準は4000以上9000以下)。
ちょっとの細菌にでも感染して倒れちゃいそうな数値だそうで???
水を飲んでも吐くし、吐き気止めの点滴も利かないし。。
あーにゃあが早いか私が早いかと、真剣に考えてしまいました。
一緒にお星様になっても良いかなとかも考えたり。。。
にゃあはこの時も元気一杯だった訳でもないのに、私の傍について看病していてくれました。
今考えるとあの時は、一番一緒に寝れてて良かったのかな?

10月4日
雨、いつもなら朝食の準備をしてる時には必ず起きて、作ってるのをジッと見ていたにゃあが起きてこない。
まさか!と思ってコタツ(病気発覚後はコタツ整えていつも出していた)の中を除くと、普通に寝ているし。
触るとゴロゴロ言って普通にしていたけれど。
しかし、この日はキドナ強制給仕以外は全く食べない。
お皿を寝床に持っていってあげても、プィ!っと顔を背けてしまう。
大好きな鰹節もササミも拒否。
それになんだか、にゃあのお口が凄く臭い気がします。

全くグルーミングもできないようですが、それはこじょうが代わってやってくれてる。
どうしたんだろう、昨日まではきちんと食べていたのに。
と思い、栄養チューブで栄養補給もしました。水を飲むのもなんだか下手糞に?

10月5日
またしても雨、雨だと外に出る訳でもないのに、機嫌が悪いのは若い頃からありました。
この日も食欲あまりなし。
ちょっぴり鰹節を食べる程度。強制給仕でキドナと栄養チューブでなんとか栄養確保。。
なんだか今までより尿量が少ないような気もします。

病院に行って輸液セットを取りに行く。
とにかく輸液をして強制給仕をしっかりやれば、多少また安定するかもしれないとのことでした。。。
もう、してあげられることは少ないのでしょうか。
でも、その少ないしてあげられることを、精一杯やってあげること。それが私達にできる最後の事。

10月6日
多少元気になりました。
コタツから出てきて多少は遊んだり、好きなネコ缶はオヤツ程度に食べるまでには回復。
しかし、お水を飲む量が物凄い多いような。
でも、尿量はいつも通りになったから大丈夫かな?
ただ呼吸がちょっぴり速いのと、またあの耳のパタパタが出てきている。。
睡眠は十分に取れているのが唯一の救いかなあと。

10月7日
多少元気。
この日はモンプチネコ缶だけではなく、ほかのネコ缶も食べるほど。
食べるのが下手糞になってしまったので、口からポロポロこぼれてしまう。。
お水も上手に飲めないようだったので、スポイトで飲ませてあげました。。。
食べる以外は殆どコタツの中で、こじょうとずっと団子になっていました。
この日夕方にちょっぴり私がひっくり返ってたら上に乗ってきて、暫く一緒に寝てたなあ。
上に乗ったにゃあは軽かった。

10月8日
この日は何となく肌寒く、しかも雨。
台風が近づいている様です。
朝起きたら、昨日の夜寝る前にあげたキドナとクレメジンなどが吐いたあとがありました。
いつ吐いたんだろう。。でも吐いたモノの様子からはどうも早朝っぽい。。
こんなに大量に吐いたことないし、食べてから時間が経ってから吐いて。
全く消化できてないという事なんだろうか。

そして朝の輸液の時に抱き上げたところ、穴の空いた水風船から水が抜ける様におしっこをしてしまいました。
今までこんな事はなかったのに…怖かったのかい?それとも、そんな力がなかったのか。。
凄く心配にというか、なんだか嫌な予感が。
今まで色々あったけど、何とかなるさっていつも思っていました。
でも、今回はこの3連休が山なんだろうという気持ちが物凄く強かった。

夕方にもまたしても前兆なしの嘔吐。
こっちも昼前にあげたキドナとクレメジンを嘔吐。
とにかく吐き気だけは何とかしてあげたいと思い、病院で吐き気止めを出してもらいに行ってきました。
吐き気止めを飲んでコタツのヒーターをつけてあげると、にゃあは喜んでコタツでしっかりあったまって、こじょうとぬくぬくしています。
夕方にあげたキドナも吐かないし、とても穏やかです。

でも、もう自分の口で水を飲むのがとても難しいらしく、好きなご飯も舐める程度。
トイレも自分で歩いて(というか、ダッシュして。。普通に歩けなかったみたいです)いくけれどもうヨレヨレです…。
落ち着いたあたりに薬と輸液をしました。
いつもなら、輸液と薬のあとに「よし!明日も頑張ろうね!」っていうんですが、この日は何故かそのセリフは出てこなかったのです。
何故言えなかったのか私にもよくわかりませんが。。

そして私達は夜になり寝ることにしました。午前1時半くらい。
こじょうといつもの寝る前の場所争いの喧嘩。そのあとはいつもネコ団子になって寝るんだよね。。

10月9日
嫌な予感は的中しました。
午前2時半。寝てから1時間くらい経ったとき、まだ喧嘩してるのかな?ていう感じのにゃあの声が聞こえ、それで目が覚めました。
「なんだよーコタツのなかで喧嘩すんなー仲良くしろー」と思ってコタツを空けると。。。
にゃあは痙攣を起こしていました。でも今までと違う。凄くバタバタしてる訳ではない。
軽くピクピクしてる程度。でも瞳孔は開いているし全身の震えは止まりません。

とにかく落ち着けなくっちゃって事でコタツから出して、舌を噛まない様にタオルの端っこを噛ませ同時に酸素ボンベで酸素吸入。
私と同居の彼でナゼナゼしながら「にゃあ、にゃあ」って話しかけ、耳は聞こえているのか声のする方向には一生懸命応じようと首を向けます。
意識はあるようです。
でも瞳孔は開きっぱなしだし、震えは止まらないし…5分経っても全くその症状は収まる気配がない。
5分以上続く様だと危険度が高くなるらしいのです。

病院に電話したら、ウチの獣医さんは24時間営業じゃないけど飛んできてくれる。
連れて来ても良いって。でも、最後にする処置や痙攣の時にできる処置は既に説明は受けていて、そうやったところでにゃあが辛い時間が増えてしまうくらいなら。。。
この痙攣が続く様だったら、鎮静剤を持ってきてもらって私が打とうと思いました。
何故なら私とずっと一緒にいてくれたにゃあだから、最後があまり苦しい様だったら先生にしてもらうより自分でと思っていたから。

色々にゃあに話しかけてる間に、もう自然と「にゃあ、もう頑張れって言わないよ」って言ってしまいました。
私だって、にゃあとずっとずっと一緒に居たい。
でも、もうこんなに辛い時間が続くのは、やっぱりにゃあにとって楽しい事ではない。。
そう思ったから。
その後にゃあをナゼナゼしながら、走馬灯の様に今までの思い出が蘇ってきました。
出会った時の事や一緒に遊んだ事、忙しくて構って上げられなかったときに観葉植物が引っこ抜かれた事、こじょうと一緒にネコ玉になってること、最初はキライだった同居の彼に懐いて一緒に寝るようにもなった事。
もう一気に思い出してしまいました。。

そうしているうちに、少しずつ少しずつ痙攣は弱まってきました。
でもそれが痙攣が収まって元気になるのではないという事は、私にはわかっていました。
それは旅立ちへの合図…。
そして息が穏やかになって、スゥっと寝てしまうようにしてお星様になっていきました。
午前3時半くらいでしょうか。

「にゃあ有難うね」どんな事があってもにゃあにしがみ付いてしまってはいけない、彼女が決めた旅立ちを邪魔しては行けないと思ってそのセリフを言おうと心に決めていたけれど、いざ言う段になると本当に辛い。
でも、心から感謝してるから、有難うって言わなきゃって思っていました。
心停止してからちょっとしてにゃあが「にゃ」と一言なきました。
外は台風。にゃあは嵐の日にやってきて嵐の日にお空に帰っていきました。

その後、どんどん血の気が引いて堅くなっていくにゃあ。
こじょうもにゃあのニオイを嗅いで、もう動かないことがわかると物凄くガッカリして。。
私も彼も放心状態というか、泣いて良いのか何なのかわからない状態になってしまいました。
でもまだ朝、病院に報告するにしても時間があるので、ひとまず寝ようと言うことに。
にゃあを真中において。。
彼は眠れなかった様だけど、私はにゃあを抱っこして寝ました。


朝、動物病院に行って報告。
先生は「あの状態で良く頑張ったと思うよ。自宅輸液が良かったと思う」といってくれました。
にゃあが亡くなる前は、亡くなったあと原因を知る事ができたらと検体をと少し思っていたのですが、もうその時はそんな気持ちもなく、その日の内に荼毘に付す事にしました。
外は台風で物凄い風雨。
普通だったらそんな日は避けるんだろうけれど、にゃあがやってきたあの日もこんな天気だった。
あの子はこの日を選んで風に乗って虹の橋まで行くんだって思ったので、その意思はついでやりたいと思い、半ば強行突破で予約した動物霊園まで私と、彼、そしてこじょうと行きました。

天気が天気だったので、他に誰も着ていません。
ウチだけのようです。にゃあはまだまるで生きているかのような、声を掛けたらまた起きあがって「にゃ!」って言いそうな。。。
それほどに綺麗だった。でも、もうそんなことはない。。
焼き場では好きだったものと、にゃあへのお手紙、大好きな白いバラ(食べるのが好きなんですが・・)、私達の写真を添えました。
待ってる間、もう思い出を話して泣いたりと、なんだかもうわからないみたいになっていましたが。。。

にゃあのお骨は、とても綺麗でした。
ただ、骨にクレメジンがたくさんついていました。。。。
本当に骨が全部残っているのにクレメジンなんて、、と思うと本当に頑張ってくれたんだなあと思いました。
実のところはにゃあは、もう頑張れない状態が長かったのかもしれない。とも思いました。。
丈夫なお子さんだったんですねって火葬場の方に言われると、腎不全さえなければにゃあはあと10年は生きられたんじゃないかと思うと、また泣いてしまいましたが。。
でもそんなこと言っちゃいけないんですよね。
だってにゃあは頑張ったんだもん。。

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