伝説が書かれた日  2003年6月 written by カッパさん 

「我が家からお空へ出発した猫どんは、ヒマラヤン。
オス(去勢していたので、おかま)。
生後2ヶ月くらいで我が家へやってきました。
享年は19歳ですが、まさか、そんなに長生きするとは、正直言って思っていませんでした。

私は、猫どんが5歳を過ぎたあたりから、「そろそろ死んでしまうのではないか」と内心ビクビクしていました。
なぜそんなに早くからというと、それは幼い頃に見た猫の飼い方の本に、「猫の寿命は5~10年」と書いてあったからです。
(今思えば、かなり怪しい情報です…。情報が古かったっていうのもあるでしょうが、少なくとも室内で暮らしている猫どんは、10年は軽く生きる猫どんの方が最近は多いようですね。
でも、ノラ生活の長さなどによっても、また違うでしょう。)

だから私は、その本のせいで自分の猫どんの寿命について考え、なかなか眠りにつけなかった夜もありました。
でも私の心配をよそに、猫どんは10歳を過ぎても衰えることなく、16歳でもタンスを上り降りしていました。

年令とともに、腎臓は少しずつ機能を失っていましたが、早くから漢方を飲んだり(先生の勧めで12歳頃から)、療養食に切り替えたせいか、進行はかなり遅々としていました。
猫どんは、いつも明るく元気でした。
年をとっても、私と一緒に押し入れに入ったり、近所を散歩したりして、よく遊びました。

17歳を過ぎたあたりから、少しだけ体重が落ちました。
不老不死ではないかと思えたほど元気だった我が家の猫どんにも、「老い」が見えるようになってきました。
18歳を過ぎた頃からは、腎不全の症状までも目に見えるようになってきたのです。
おしっこが臭くなくなり、食欲にムラが出て、たまに血尿が出て、胃液のようなものを吐きました。
そして全く食べなくなり、ついに入院。
いよいよかと、私は脅えました。
でも、なぜか「絶対、元気になって帰ってくる」という確信が、心のどこかにありました。
そして、見事に猫どんは元気になって帰ってきたのです。
それから半年は、本当に元気でした。
あの腎不全が治ってしまったんじゃないかと思えるくらいに。

しかしまた徐々に食欲に、ムラが出てきました。
私は何度も読んだ猫の医学の本を読み直し、恐ろしくなりました。
書いてあることが、いくつか当てはまります。
元気だと思ってたのに、やっぱり症状は確実に進んでいる・・・・どうしよう。

でも、ある時気づいたのです。
私の役目は、猫どんが苦しまないようにすることだ、と。

それまでの私は「この猫が死んだら、私はどうなっちゃうんだろう」「気が狂うかもしれない」「こわい」とばかり思っていました。
でも、それって実は自分自身の心配であって、猫どんの心配ではないんじゃないか。
いちばん大事な猫どんなのに、なぜ私は「猫が死んだあとの自分」ばかり心配してるんだろう?

・・・そうだ!
自分よりも、猫どんのカラダのこと、苦痛のことを考えなくちゃ!

それから私は、現代医学では治せない「猫の腎不全」という病気と、物理的にどうしようもない「老い」に対し、いかに猫どんが苦しまないようにできるか、とにかく頑張ろう!と決めました。

くよくよしたって、しょうがないもの。
楽しい日が1日でも多く続くようにしないとね。
でも病気になったからって、きらいになったりしないよ。

そして、あちこちのHPを参考にさせて頂いてフードを一部見直したり(療養食にカルカンなどを少し混ぜていたので、ナチュラルなものに替えました)、飲み水も水道水はやめて天然水にしました。

ホリスティックなものの本を読んだりもしました。
何冊か読んで分かったことはホリスティックなものは、西洋医学的なものを非難しがちだということ。
逆もまた然りで、西洋医学はホリスティックなものを相手にしなかったりするのですが・・・。
でも私は、西洋医学にもホリスティックなものにも、どちらにもいい部分があるのではと思いました。
この2つなら、鬼に金棒でしょ!と。
だからメインは獣医さんでの西洋医学の治療を行い、ホリスティックなものは家庭でできる範囲で取り入れました。
(と言っても、ホメオパシーぐらいです)

自分でもホリスティックなものを試してみました。
それはフラワーレメディです。
私の不安な心が猫どんに悪い影響を与えないようにと、試しに飲んだのですが、これには、ずいぶんと気持ちを助けられました。
例えば、猫どんが吐いたりしたとき。
こんなとき、私がパニックになってしまっては困るのですが、フラワーレメディを飲むと、落ち着いて対処できるのです。
非科学的なものは信じない私もちょっとビックリしました。
(飲んでいたフラワーレメディは主にチコリーです)

フードだけでなく、遊びのことも考えました。
足腰を痛めないよう、高いところへ上ったりししなくていい遊びを編み出したり・・・。
でも猫どんは亡くなる10日ほど前まで1メートルくらいの高さをジャンプして乗ることができたので、腎臓以外は本当に丈夫だったんじゃないかと思います。

しかし確実に腎不全の影は大きくなって、忍びよっていました。

最初の入院から8ヶ月後、また入院しました。
BUNとCREは、前回の入院時を大きく上回る数値になり、体重もだいぶ落ちました。
しかしその2回目の入院の時も、私には「絶対、元気になって帰ってくる」という変な確信がありました。
それは、病気の症状が出ても、猫どんの顔つきが明るかったからです。
そして、やっぱり猫どんは元気になって帰ってきたのです。
猫どん自身も、帰ってこれてうれしそうにしていました。
しかし体は爆弾を抱えているようなもの。
いつガクンときても、おかしくはありません。

それからまた穏やかな日々が過ぎましたが、2ヶ月半後、再び食欲にムラが出てきました。
そして大好物しか食べなくなったので、あわてて病院へ連れていくと、さらにとんでもない数値になっていました。
確かBUN 140、CREは8以上になっていました。
まさか、ここまで上がっているとは・・・
でも顔つきはいたって普通なので、入院させることにしました。
それが火曜日。
入院した日や、その翌日は、ごはんを食べていました。
しかしお見舞いに行くたびに、今回ばかりは嫌な予感がしました。
「絶対、元気になって帰ってくる」という気持ちが、なぜか湧いてこないのです。
そんな自分を嫌になりました。
「絶対、元気になって帰ってくる」と思えない私に、もう一人の私が「大丈夫だから、大丈夫だから!」と言い聞かせました。

土曜日。血液検査をしました。
しかし、数値が以前のように著しく下がらなくなっていました。
BUN110、CREも7台です。
5日も静脈点滴したのに・・・。
ごはんも食べていないと言います。
でも、もうちょっと下がるかもと思いました。
少しションボリしていたので、昼と、夕方の2回、お見舞いに行きました。
1日に2回お見舞いに行ったのは初めてでした。
やっぱり、私の心のどこかで「今回は、ちょっと違う」という気持ちがあったのかもしれません。

胸騒ぎがして寝つけなかった夜が開けて、日曜の朝一番に先生から電話がありました。
「ぐったりしているので来てください」と。
悲しい予感は当たってしまいました。
入院するたびに猫どんを復活させていた24時間静脈点滴が、ついに効かなくなったのです。
昨夜の見回りのときは、特に変わりはなかったが、朝来たらぐったりしていたとのこと。
やっぱり・・・・。
私と妹は病院へ向かいました。
そして病院で突然寝たきりになってしまった猫どんの様子を見たとき、悲しいけれど、これは、お空からお迎えが来ているなと思いました。

もうおうちに帰ったほうがいいということを、10年近く看てくれていた先生は、本当に辛そうに話してくれました。
「断腸の思いで、帰します」と。
こんなにいい先生にずっと看てもらって、猫どんは幸せだなぁ。
人間だって、なかなかいいお医者さんに会えないものねと思いました。

そして午後、猫どんを、おうちに連れて帰ってきました。
タクシーで帰るとき、タクシーの窓を開けて、外を見せました。
タクシーの窓から風に吹かれて外を見るのが大好きだったのです。
ぐったりしているのに、猫どんは、目を細めて、うれしそうでした。
そして我が家のマンションに着き、エレベーターを降り、うちの階に着いた時、猫どんがペロペロと私の手をなめました。
人の顔や手をなめるようなことはしなかった猫どんです。
私は、お別れのあいさつかもと、びっくりして、そして悲しくなりました。

でも私は、不思議と落ち着いていました。
だって、苦しまないようにする仕事があるもの。
これは大役です。
取り乱したり「もうダメだね」などと言わないようにと、妹にそっと伝え、両親にも、その旨をタクシーからメールしておきました。
みんなで普通に接して、明るく送ろうと。
だって明るい猫どんだったから。

家では好きだった場所に寝かせて、私はずっと添い寝しました。
よく一緒にゴロゴロしながら、ドラマのビデオを見たりした場所です。
私は、またその日も、録画しておいたビデオを見ました。
きっと一緒に見れるのは、もう最後です。
猫どんは、もう立てません。
寝たまま、おしっこをシャーっとします。
それでも牛肉を2口食べました。
なんと2回も。
アイスを見せると、ここ数日で濁ってしまった目の色を変えて、なめました。

明け方、猫どんを抱いて、散歩に行こうと思いました。
散歩と言っても、マンションのフロアの1周です。
でも大好きだった、この階の散歩。
年老いても、のっしのっし巡回するので、家族では『パトロール』と呼んで笑っていました。
家族は寝静まっています。
私は猫どんをそっと抱いて、玄関を出ました。
体は手足が伸びたまま、だらんとしています。
それでも、外の空気をにおいを、ひくひくと嗅いで、お日さまに目を細めました。
こんなになっても、毛づやのよい体を、風がなでていきました。
「お散歩楽しかったね」「また遊ぼうね」と、私は話しかけました。

月曜日の朝です。
妹も、私も、会社を休みました。
両親も、少しだけ仕事に行って、すぐ帰ってきました。

そして、しばらく昏睡状態のような、ぐったりして動けないだけのような状態が続きました。
寝ているのとは、違うようです。
食べ物を見せると、目だけが動きましたが、もう食べることはなくなりました。
どんどん「いのち」が少なくなってきることが分かりました。
午前9時と、午後3時に、痙攣がありました。
初めてのことで、私はそのたびにもうダメかと思い、家族を呼びましたが、しばらくすると落ち着きました。

退院してからも尿は出ていたので、脱水しないよう、家でも点滴を何回かしました。

「ケホッ」 猫どんが、突然咳こみました。
それまでの数時間に2回あった痙攣とは、ちょっと様子が違いました。
私は、猫どんをそっと抱きました。
猫どんの手足は、何かに抵抗するようにピンと、突っ張ったようになり、小さく一声鳴きました。
あぁ出発なんだな、引き返すようなことを言ってはいけない、と思いました。
気持ちよく、フワッとお空へ行けるように・・・。

ほんとうに最期の最期、意識の遠のきゆく猫どんの口に、『闘病の疲れから心を解き放つ』というオリーブのフラワーレメディを1滴垂らしました。
そして「死ぬのはこわくないよ」「またいつか会えるからね」「みんな、ありがとうって思ってるよ」と、家族全員で撫でながら伝えました。
そして猫どんは、すぅっと永遠に眠ってしまいました。
おやすみ。
予想していた尿毒症の末期よりも、ずっと軽くて短い「その時」。
19歳と1ヶ月でした。

我が家の猫どんが腎不全末期(尿毒症)でありながら、闘病生活や、最期の苦しみが比較的軽かったのは、獣医さんには「尿毒に体が慣れてしまったのでは」と言われましたが、私はホリスティックなもののせいもあるかもしれないと思っています。
素人判断ですので、はっきりしたことは言えませんが・・・・
腎不全は進行していったけれど、精神面では、本人(猫ですが)も、ホリスティックなものにずいぶんと支えられていたような気がするのです。
現に、最後の入院で御飯をパクパク食べていた時には、先生に「ちょっと考えられない」と言われたくらいなので・・・

もちろん、いい獣医さんが、いつも適切な処置をしてくださったことも、ほんとうに幸せであったことを付け加えておきます。

うちには、もう1匹、猫どんがいます。
その猫は、先にお空へ行った猫どんの妹的存在で、最後のお別れのときもそばにいました。
その猫は先に行った猫どんのことが大好きなので、今は、だいぶショックを受けているようです。
でも、天国へ行くことはこわくないんじゃないかと思います。
もしまた残った猫どんの「その時」が来ても、また、できるだけ苦しまないようにしてあげたい。
大丈夫、私ならできる!、なーんて自分で思ったりして。
ちょっと助産婦?みたいな気持ちもあるのです。(不謹慎かなぁ?)
でもきっと残った猫どんの「その時」には、先にお空へ行った猫どんが迎えに来てくれるはずだし、死ぬってことは意外に、こわいことや、悲しいことではないのかもと、わたしは最近思っています。
それはきっと、「また別の場所で、天国で会える」ということだと思うから。

 

 

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